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ホームイベントBBLセミナー2005年度 ガバナンスと開発援助戦略:南アジア草の根の現場から 印刷 開催日 2005年6月8日 スピーカー 西水 美恵子 (RIETIコンサルティングフェロー) モデレータ 田辺 靖雄 (RIETI副所長) 議事録 開発援助のWhat,Why,How今日は、皆さんと一緒にODA(政府開発援助)について考えたいと思います。ODAのWhat,Why, How―何を、経済開発と考えるべきか。何故、それが日本にとって重要な課題なのか。どうすれば、効率性の高い援助ができるのか。この3つについて、私の経験をお話ししながら、ディスカッションさせていただきたいと思います。 開発とは何か皆さんご存知のように、経済開発は経済学的な概念として定義すると、国民平均所得の向上とより平等なる分配、すなわち貧困解消ということになります。このベーシックな定義が本当に正しいのかどうかについては後ほどディスカッションさせていただきたいと思いますが、ここでは「正しい」と仮定した上で話を進めたいと思います。では、貧困解消を目的として援助の仕方を考える時、それを決定する人々は、貧しさとはどういうことなのかを知識としてきちんと捉えられているでしょうか。単なる紙の上の知識ではなく、体験的な知識としてわかっていなければ、国のレベルでも、さらにミクロのレベルでも、本当の意味でためになる持続性ある援助は絶対にできないでしょう。そこで、昔出会った1人の女性の言葉を借りて、貧困とは何かをお話ししたいと思います。その女性は、パキスタン側のカシミールの山中に住んでいます。海抜およそ2000mの険しい山中の、日の当たるわずかな場所に段々畑が切り刻んだようにあり、小さな家々が寄り添って建っていました。水道もなければ電気もない、道もない。平和であれば、歩いて山を越えインドの国境までは半日ほどの在所です。彼女は夫をインド・パキスタン戦争で亡くした未亡人で、風に吹き飛んでしまいそうなワラの屋根、雨で流されてしまいそうな土壁の小さな家に、幼い子供2人と暮らしていました。彼女は、自分の日常生活をこのように語ってくれたのです。「早朝、まだ日の昇らないうちから、水汲みのために山へ入る。山頂の泉まで1時間かけて山を登り、また1時間かけて下ってくる。子供たちとの朝ごはんは、お茶と夕べの残りのパンひと切れ。それからヤギに餌をやり、涼しいうちに畑仕事。麦と野菜を作っているけれども、自分たちで食べるだけ。売るほど作る土地もない。昼前、また山へ水汲みに入る。1時間山を登り、また1時間かけて下ってくる。昼食は、子供たちにはミルクとお砂糖をたくさん入れたお茶。自分は水だけで我慢。それからお掃除。ヤギの餌集めと薪集め。水が少し余っていれば、洗濯もする。夕方、また水汲みに山へ入る。夕方は疲れているから時間がかかる。登るのに1時間半、下るのに1時間半。夕食はたいていヒラ豆のスープとパン。それから日が落ちて、寝るまでの暗闇の中、子供たちと話す。私はこの時間が一番好きだ」そして、彼女はこう付け加えました。「毎日、来る日も来る日も、毎年毎年、同じことの繰り返し。これは人間の人生ではない。動物のように、ただ体を生かしているだけ。自分がもし病気になったら、みんな飢え死にする。それが恐ろしい。本当に気が狂ってしまうかと思うことさえある。希望はただ1つ、村に小学校がほしい。子供たちが教育を受けて、こんな生活を繰り返さなくてもいいように」これが彼女の言葉です。私が世界銀行にいた頃、貧しさというものの体験学習を目的として、この山に部下と入りました。その未亡人をアマ(お母さん)と呼び、1週間のホームステイでした。また、南アジア8カ国のどの国でも、同じような経験をしてきましたが、そうやって学んだ貧しい人々からの教えは、言葉や文化こそ違えども、どの国もまったく同じでした。人間が人間として生きるために最低限必要なもの、それは肉体と精神の健康、そして生き甲斐の得られる希望を持てるということなのです。それをどうしても確保できない生活が貧しさということであり、貧困の真髄でした。私は、そんな生活を強いられる人を減らすという意味での貧困解消が、開発の定義なのだということを学びました。 何故、開発援助が日本にとって大切なのかそうした観点から物事を考えていきますと、何故、開発援助が日本にとって大切なのかを考える時に、大きな違いが出てくると思います。Human Security(人間としての安全保障)、つまり人間として生きる条件が否定されている人たちのことを思い、そしてまた世界の10億人を超える貧困人口のボリュームを考えた時に、色々な問題が見えてくると思うのです。これは驚くほど知られていないことですが、世界中で貧困人口が最も多い地域はどこかを問うと、日本の大学生の皆さんなどは、多くがアフリカと答えます。しかし実際はそうではなく、日本のすぐお隣のアジアなのです。特にインド、バングラデシュ、パキスタンといった南アジア諸国には、約5億人以上の貧しい人々が、「人間の条件」を否定されて生きているわけです。病気になったら飢え死にするか、または売春、犯罪、人間以下の生活を余儀なくされる危険をはらみ、恐怖の中で毎日を生きる人々。子供の教育にさえ夢を託すことができない人々。アジア諸国、特に南アジアの人々は何世代にもわたってそういう生活を強いられてきました。開発途上国の貧困は、資源が乏しく富が足りないため、定義的に起こる過渡的な自然現象だと考えては、絶対にいけないと思います。草の根でアジア諸国の貧しさを学習し、何故こういうことが起こるのかを考えていくと、悪質なガバナンス、悪い政治による人工現象だと捉えるのが最も適当だといえます。そこで、私が現実に目の当たりにした南アジア諸国での悪質なガバナンスについて、お話をしたいと思います。まず、公立保健衛生施設や制度の中で見られた例からお話ししましょう。南アジアの人々は、貧しく苦しい生活の中でもユーモアを忘れません。彼らのユーモアあふれる色々な言い回しが、私たちに教えてくれることはたくさんあります。まず彼らがよく言っていたのは、『泥棒病院、病院泥棒』です。泥棒病院とはつまり、権力者は病院や診療所といった建物を建てるのが大好きで、建築費を水増ししては懐に入れるということを指しています。病院泥棒とは、せっかく政府のお金、つまり国民のお金を使って建てた診療所などを、地元の権力者が私有化してしまうことを意味します。皆が喉から手が出るほど望んでいる診療所を、稲の倉庫や権力者の家として利用されてしまうケースなどもありました。『幽霊ドクター』という言葉もありました。公立の保健衛生施設で働いているはずの医師や看護師が、田舎では無断欠勤で不在のことが多いのです。給料は貰っていながら一体何をしているのかを調べると、たいてい病院を個人経営しているか、もしくは別の個人経営の病院や診療所へ出勤しているわけです。これも、よくあることでした。次の例は、『空き巣も呆れる薬棚』です。地方の公立診療所などでよくあることですが、薬棚の中は、ホコリだらけで何も入っていません。政府が薬を購入し配布しているはずなのに、どこかで消えてしまうのです。つまり、官僚や政治家、国によっては犯罪マフィアが絡み、薬品を横領しては市場に流してしまうわけです。そのような地域に住んでいる貧しい人々は、診療所へ行けば無料で支給されるはずのアスピリン1つさえ貰えません。自分のお金で、町まで数時間あるいは半日も歩いて買ってこなければなりません。そんな生活の中で生まれた言い回しが、『空き巣も呆れる薬棚』なのです。最後の例は、『電気のつかないレントゲン機』です。電気も引かれていない村の診療所にレントゲン機がドーンと置かれていることがあります。また、電気は引かれていても接続コードが無いと使えないのですが、そのコードを役人が管理していて、相当な額の賄賂を渡さなければ、村人の手に渡してくれないというのです。こうした状況は、時々見られる例ではなく、ひどい所では日常的にシステム化されています。世界銀行でも、南アジアの2~3カ国で調査しましたが、このような不正による被害額は国全体で膨大な額に上り、国家財政の非常に無意味な負担となっていることはいうまでもありません。保健衛生支出額がGDPの数%という国々であるにもかかわらず、貧民の多くが民間の医療施設で診察を受けています。そして、南アジアの貧しい人々はせせら笑って言います。「そうだな、死にたければ公立病院に行くよ」と。その言葉の裏には、民主主義国でありながら政治的に無力な人々の権力者に対する静かな怒りを感じ、いつも背筋がぞっとするような思いをしました。しかし、さらに危惧すべきなのは、民衆の現状に対する怒りの恐ろしさも感じないまま、選挙のたびに顔を出してはお金をばら撒く政治家たちでしょう。次に、教育制度における悪質なガバナンスについて、例を挙げながらお話ししたいと思います。引き続き南アジアの人々の言葉を借りると、まず、『大人のための小学校』が挙げられます。通常、小学校を建てる際には、子供の人口分布地図をもとにして建設地を決めるものです。南アジア諸国でも、そうしたデータはほとんど把握され、地図も作られています。しかし実際には、そんなものは無視して学校が作られてしまいます。やはり病院の場合と同じように、建築費を水増しして搾取するのが目的だということを、人々は知っているのです。『幽霊教師』という言葉もあります。南アジア諸国では、学校の先生という職業は非常に優遇されています。給料も通常の役人より多く、さらには好条件の年金が支給されるため、その年金を目当てに、政治家から教職のポストを賄賂で買うという事態が起きています。特にパキスタンでは一時、この『幽霊教師』の数が非常に多く、調査によって教職のポストの市場相場まであるという事実も明らかになりましたが、やはり膨大な額のお金が無駄になっていたわけです。次の例は、『値上げ大臣』です。これは、たいてい文部省といった教科書を管轄する省庁の大臣を指しています。政治家というものは、えてして大臣になりたがるものですが、バングラデシュでは、特に教育大臣になりたがる傾向があります。そして、新しい教育大臣が就任すると、すぐに教科書が2円くらい値上げされ、その2円のうち1円が大臣の懐に入ります。バングラデシュの人口は日本より2割ほど多く、子供の数は日本より多いですから、私たちの調査によると、教科書を2円値上げすれば、大臣にとっては莫大な選挙資金を埋め合わせてもなお余るほどの収入となるわけです。それが『値上げ大臣』です。もっとひどいのは、『教科書なしの新学期』で、学期が終わっても教科書が来ないところさえあります。教科書はたいてい首都で印刷され、政府が管理するルートで地方へと配送されますが、その途中で荷分けする場所が数カ所あります。そのところどころで賄賂を払わなければ、教科書を分けてもらえないのです。新学期が始まって1カ月、2カ月、ひどいところでは半年経っても教科書が来ていないという小学校をよく見たものです。それでも、まじめな先生がいれば、自分で買ってきた教科書を生徒に手書きで写させ、勉強をしています。悲惨なのは、教科書もなければ『幽霊教師』だという小学校です。もっとも見つかりにくいのは、奨学金の横領です。たいてい、どこの国でも奨学金制度はあります。特にバングラデシュのような国では、貧しい家庭の子供たちに対して政府から奨学金が支給されますが、その横領は一時ひどいものでした。何故、教育制度に悪いガバナンスが入り込み、システム化していくかというと、発覚しにくいためです。かつ、子供の多い大きな国では非常に効率よく儲けることができるため、捕まりにくいのに億単位のお金が転がり込んでくるという状態です。ですから、病院の例と同じように、教育費の支出額がGDPの数%という貧しい家庭の子供たちの多くが、私立学校、特に宗教団体やNGO関係の学校に通っています。やはり、国家財政の無意味な負担が多くなっているわけです。草の根で貧しい国々を巡り、いつも目の当たりにするのは、空っぽの教室です。机も無い、椅子も無い、黒板も無い。先生も来ない、教科書も無い。そういう所でも、村の子供たちは集まってきます。毎朝1~3時間の山道を歩いて通い、辛抱強く待ち、そしてまた帰っていく。来ない先生を待つ子供たちの悲しみや、権力者を信じられず、政治家をバカにする怒りの姿は、本当に怖いと思いました。こういう悪いガバナンスが次の世代まで受け継がれ、100年単位で国を蝕んでいくように感じました。事実、過激的な政治思想や宗教思想のテロ活動を行うグループは、こうした所を温床として人材を集めているわけで、ネパールのマオイスト(ネパール共産党毛沢東主義派)などは、その典型的な例です。さらに、それ以上に恐ろしいのは、唯一の希望を絶たれた親たちの落胆と怒りです。民主主義の国に生きながら、自分たちの声が政治的に反映されないことへの鬱憤には、いつも恐ろしさを感じました。もう1つ、電力の例をお話ししたいと思います。南アジアでも特に貧しい村に生きる人々は、電気のことを『汚い電気』といいます。よく、南アジア諸国は電力が不足しているといわれますが、私はそうではないと思いますし、実際に専門家が色々な分析をすると、不足はしていないという結果になります。では何故、停電があるかというと、電気料金がタダだからです。タダというよりも、電線から釣り針などを使って盗んでいるのです。たとえば、村に配電の準備が整ったとしても、一軒一軒に電線を引くには、村人は高額の賄賂を払わなければなりません。そんなお金はありませんから、泥棒をするわけです。また、電気を使用していると、毎月、国営電力会社から集金人が訪れます。その支払いを巡って、今度は集金人が便宜を図る見返りに賄賂を要求するので、そんな汚いことを毎月するくらいなら、泥棒したほうがまだマシだということになるのです。こんなことが行われている地域では、国営電力会社の赤字が積もり積もって、相当大きな財政赤字の原因となっています。たとえばインドでは、国内の各州立電力会社の赤字合計額が、国家の財政赤字額の半分近くを占めるという状態です。インドのように大きな国の財政問題の根底には、こうした悪いガバナンスの問題があるわけです。電気は、貧困解消に大変重要です。南アジア諸国の国民の死亡原因No.1は、エイズやマラリアではなく、室内汚染です。煙の出る燃料を使うことで家の中が汚染され、特に女性や子供が健康を害し、最大の死亡原因となっていることが医学的にも証明されています。そうした有害な燃料に代わるのが電気なのです。また、電気が引かれることは、女性の識字率の向上や小中学生の学力向上に直接つながるというデータも明らかになっています。このように、電気は貧困解消に向けた大きな力を持っているのに、悪いガバナンスのありさまを知っている貧しい人たちは、『汚い電気』とせせら笑っているのです。ガバナンス問題が存在する国々では、悲しいことに、こうした賄賂が政党あるいは官僚の大きな収入源となっており、分配方法も見事に組織化されています。所によっては、犯罪マフィアの関与もあります。権力者たちによって人間として生きる条件を否定されてきた貧しい人々の人口は、長い間、民族や言語、宗教によって社会的、政治的、経済的な差別を受けてきた人口と大きく重なります。彼らの鬱憤というものは、私たちのように恵まれた人間には想像も及びません。特に若者の怒りは非常に恐ろしく、犯罪やテロ活動といった色々な形での過激派の活動がはけ口となっていきます。いつも言うことですが、人間の安全保障を怠るということは、1つの国家の安全保障を怠るのと同じことです。南アジアにはその例が多く、先ほども触れたネパールのマオイストなどは、国民たちが長いこと経験してきた貧しさ、人間の条件を否定されてきた環境、から生まれた運動だと思います。スリランカのタミール民族解放運動もそうです。また、アフガニスタンをしばらく支配したタリバン政権は、おもにパキスタンのイスラム神学校が貧しい家庭の男子を集め、教育と洗脳活動を行ったことに端を発しています。貧困は、国家や世界の安全保障を脅かしていくものだということが確信されてなりません。そして、アジアの平和、世界の平和があっての日本の平和であって、日本の安全保障と開発途上国における人間の安全保障は、密接につながっています。9・11同時多発テロのような事件があってから気づいたのでは遅すぎます。ですから、貧困解消を促進する開発援助というのは重要な世界課題であり、日本にとっても大きな課題であるべきだと思います。 どうすれば、効率性の高い援助ができるのか開発援助の本当の目的を貧困解消とするならば、国によって異なるガバナンスの状況に応じた援助戦略を作っていかなければなりません。悪いガバナンスが貧困解消の障害となっている国では、政治家と官僚の腐敗、それに取り入る実業家や犯罪マフィア、現状維持の票買いと不正な選挙、その資金集めに続くさまざまな汚職といった悪循環を、誰かが断ち切らなければなりません。ガバナンスが悪い国に対する開発援助について真摯に考えるならば、どのようにして善なる指導者を押し出していけばいいのかということに焦点を当てなければならないと思います。表面的な援助ではなく、長続きし、日本のためにも、被援助国のためにもなる援助の戦略を考えるとなると、改革を断行する勇気と情熱に燃える指導者をみつけ、その仕事を外から助けていくということが必要となってきます。南アジアをはじめとする開発途上国にも、良いガバナンスを実行して非常にうまくいっている国(例、ブータン)や地域があります。よく、戦略をインフラや教育といったセクター別に考える傾向がありますが、効果的だとは思えません。貧しい人々から見た場合、開発・発展というのはセクター別に起こるものではないからです。電気が教育や保健・衛生につながっているように、すべてホリスティックなわけですから、どこから入っていってもいいと思います。ガバナンスの改革に燃え、何らかの力を持つリーダーを見つけ、彼らのやりたい仕事に対し、知識あるいは資金によって援助活動をしていく。そのリーダーは、国家首脳や大臣、政治家、あるいはNGOのリーダーでも、村長さんでも、企業家でもいいと思います。そして、内政関与をしない息の長い正の外圧として動いていくということが、そうした国々に対する援助の正しいやり方だと思います。そのために一番大切な手段は、お金をたくさん出すことではありません。一番大切なのは、日本ならば日本が持っている知識、そして、「そんなことをしているのなら、お金は出さない」と“No”を言うことなのです。これは、あまりよくなされていないことだと思います。 質疑応答Q:悪いガバナンスを改革するために、対抗勢力となる力あるリーダーを見つけ、援助活動をしていくのが正しい援助のやり方だというお話があったと思います。個人やNGOではなく、世界銀行や日本政府といった立場で支援をしていく場合、具体的にはどのようにすればいいのか、教えていただきたいと思います。 A:非常に大切なご質問です。特に野党をサポートするとか、政治的に対抗する勢力を見つけ出すという意味ではないのですが、私が実際に南アジアで携わった仕事を例として挙げたいと思います。インドでは、開発に関する支出は大部分が州政府の管轄となりますから、中央政府と共に州政府との対話になります。まず、どこの州の援助をしていくかを選択する際に、重要な分野で改革を進めている州政府から対話を始め、融資を決定していくという戦略です。これは、インド政府と共に考えた世界銀行の対インド戦略で、書面にして世界銀行の理事会でもディスカッションされた公のものです。世界銀行はインドに対し、とにかく国民のためになる改革を進めているところと仕事をするという姿勢を貫いてきました。 また最近、政治的に非常に不安定なネパールでは、国の行く末を危惧した政府の官僚10人ほどの発案によって、政府への信頼を回復するために、貧しい人々へ開発の恩恵が届くような改革を行っていくプランが世界銀行に持ち込まれました。それは、現在ネパール中に散在している小学校の管理を腐った文部省から切り離し、小学校のPTAの村人たちにフレームワークに沿った管理をしてもらい、それに対し政府から直接補助金を交付するというものです。試験的に導入したところ非常に反響が良く、現在でも着々と改革が進んでいるようです。そして世界銀行が、その補助金について融資を行うというプロジェクトが実行されたはずです。 Q:悪いガバナンスを行っている中央政府に改革を志す素晴らしいリーダーがいればいいですが、通常は中央政府全体が腐ってしまっているケースが多いように思います。そのような場合、外国の機関が中央政府をスキップして州政府にアプローチすることは難しいのではないでしょうか。 A:戦略と心して取り組めば、どこでもできるはずだと思います。ネガティブな例となりますが、ムシャラフ政権のクーデターが起こる2年程前のパキスタン政府に対し、世界銀行は全面的に援助を停止しました。当時、ガバナンスの問題が本当にひどくなり、改革を進めようという政府の姿勢も伺えず、世界銀行としては、融資を全面停止せざるを得ないという状態になったわけです。世界銀行を世界中の国民の共済組合として捉えれば、これは当然やらなければならないことです。また、悪い政治で開発を阻み、国の将来まで危機にさらしているという状態は、世界銀行のビジネスという面でも高いリスクとなるため、新規融資の全面停止に踏み切ったともいえます。平凡な上下水道整備プロジェクトのように見えても、背景には、その地方政府や自治体で良い志を持つ人物が見つかったことによって、順調に進んだという例もあります。世界銀行の融資条件というものは、外圧の一環だといえるでしょう。 Q:冒頭に触れられていた経済開発の目的が貧困解消であることが正しいのかどうかについて、他にお考えがあれば伺いたいと思います。またこれから、何を目的として開発援助を行っていくべきだとお考えでしょうか。 A:大切な質問をありがとうございます。開発を考える時に、概念的な定義として貧困解消を目的とするのは正しいと思います。しかし、果たしてそれだけなのかと疑問に思うのです。途上国での経験を通してわかったことは、先進国も途上国も同様に、1つの国の経済、政治、社会が常に変化していくプロセスを開発、あるいは発展と捉えた場合、国家の開発・発展とは何かという疑問を、日本に対して抱くこともできるし、インドに対して抱くこともできるわけです。 南アジアにブータンという国があります。ヒマラヤの中の小さな国ブータンが30年以上持ち続けてきた国家の発展目標は「国民の幸せ」、それのみに尽きます。富を蓄積し、国民所得を高めるといったことは1つの手段でしかなく、国民の幸せを維持、拡大していくにあたって必要な手段は、環境政策や文明・文化のダイナミック的な維持だという考え方で、色々な戦略を打ち出している国です。そのために、高度成長を諦めるような選択をしてきたにもかかわらず、非常に高い成長率を維持してきました。ブータンの政府首脳が出す経済政策や社会政策は、国民の目で物を見ているため、先見の明があって思いやりがあります。そして、実行される時にはガバナンスが良く、何よりも国民の精神的な幸せが尊重されます。 一方で、ブータンの指導者たちが将来起こらないようにと30年前から予防策に取り組んできたようなことが、先進国の日本で起こっているわけです。世界でも驚異的な経済成長を成し遂げ、世界一平等な所得分配を誇る日本では、次世代の人材育成に不安が抱かれ、さまざまな社会病が表面化しています。私は、国の発展とは何なのかということを考え始めました。国家が国家として100年先まで平和に成り立つ姿を展望した時、やはり行き着くところは国民の幸せだと思います。その国民の幸せを促進するような政治、経済政策、社会政策をとるのが民主主義で選ばれた政府の責任でしょう。そういう風に考えると、色々な政策に多くの矛盾点が見えてくるのです。そうしたことを皆さんはどうお考えなのか、非常に漠然とした思いを抱きながら、現在、色々と勉強をしている最中です。 この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。 イベント シンポジウム ワークショップ BBLセミナー 2024年度 2023年度 2022年度 2021年度 2020年度 2019年度 2018年度 2017年度 2016年度 2015年度 2014年度 2013年度 2012年度 2011年度 2010年度 2009年度 2008年度 2007年度 2006年度 2005年度 2004年度 2003年度 2002年度 2001年度 終了したセミナーシリーズ 情報発信 ニュースレター 更新情報RSS配信 Facebook X YouTube 研究テーマ プログラム (2024-2028年度) プログラム 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